2020-07-22 第201回国会 参議院 文教科学委員会 閉会後第1号
修学旅行は特別教育活動ですよね、大臣。ですから、その特別教育活動における内容で、子供たち、学生、児童生徒が理解できないような問題、公平性であるとかあるいは平等であるとか、そういった観点で子供たちを日々指導している学校、教職員にとって、これどうやって説明するんですか。どこにも書いていない、誰かがそう言った、尋ねたらそう答えた。 QアンドAが出ているのを私は知っています。
修学旅行は特別教育活動ですよね、大臣。ですから、その特別教育活動における内容で、子供たち、学生、児童生徒が理解できないような問題、公平性であるとかあるいは平等であるとか、そういった観点で子供たちを日々指導している学校、教職員にとって、これどうやって説明するんですか。どこにも書いていない、誰かがそう言った、尋ねたらそう答えた。 QアンドAが出ているのを私は知っています。
学校教育の教育内容の基準は、御案内のように、学習指導要領によって決められているわけでございますが、奉仕ということにつきましては、昭和三十三年に、「特別教育活動」の中で「校外における奉仕活動が行われる」といったことが、そういう形で初めて出てまいりまして、それ以後、昭和五十二年の改定では、「奉仕の精神などが体得できる」ようにするといったこと、さらには、平成元年でございますけれども、「社会奉仕の精神を涵養
この卒業式とか入学式、難しい言葉では特別教育活動とかいうような言葉があります。 しかし、考えてみれば、これは、子供たちが六年間一生懸命勉強してめでたく卒業して中学校へ行きます、よく頑張りましたね、中学校へ行ってもしっかり頑張ってください、お兄さん、お姉さんと、こういうお祝いの気持ち、そして学校の教職員は励ましの気持ち、こういうようなものが式の一つの主たるテーマであろうと思う。
特別教育活動はそうだというふうに先ほどおっしゃった。特別教育活動の入学式に歌う、歌わない、そういうことが子供のいろんな評価の中には入らないんだとおっしゃった。
また、特別教育活動とか学校行事も少なくせざるを得ないというような状況もありまして、子供同士の触れ合いの場が学校の中においても、学校は学ぶ場であると同時に生活の場であるというふうなことがもう一度問い直されなければならないのではないか、こんな認識がございましたもので、その観点から大人が今子供の現状をどうとらえておるのかと。
○会田長栄君 時間の関係がありますから、私、申し上げておきますが、特別教育活動とかボランティア活動とか、あるいは行動とか、こういうものを点数化しなきゃ高校に入学させる改善に当たらないなどということで逃げてはならない、私はこう思っています。
特に中学校から高等学校に提出する調査書の問題で、性格なりあるいは行動なり特別教育活動なりの分野でこれを点数化して調査書を仕上げるという問題について、文部省としての見解を簡潔に聞かせておいてください。
特別教育活動も制約される。そういう中にあっての編成だったので、いわゆる標準授業時数というものについての凹凸もあってもいいという柔軟な考え方を文部省が出した。これは私は歓迎なんです。だから、そういう点を今後も維持していきますかということを聞きたい。
特別教育活動を点数化して入学選抜制度の二分の一の重要参考資料にするというのは、これだけの中学校がある中にあっての客観基準というのはまことに難しいから点数化は問題だと、こう言いたいんですよ、私は。 それは、記録することはいいですよ。その記録を高校側が参酌することは結構なんですよ。
これは先ほど文部省の次官通達、局長通達を見ても適切な処理あるいは望ましいと結論づけていますが、この八県については特別教育活動その他行動の記録を含めて実は点数化しているんです。これは文部省が言うように望ましくない形態をとっているんですね。それはそうでしょう。
そしてその次に云々となって、特別教育活動などは、これは非常に慎重にやらなきゃいかぬ、こうなっている。 ところが、これは全国的にどうなっているか。恐ろしいものですよ。例えば特別活動等の記録、これは五十五点満点、こうなっています。学級活動、丸がつけば四点、先生が書けばですよ。事実の記録のみ二点、何も書いていない場合は一点だというんです。クラブ活動、これも同じですよ。
それで、現場の中では、もし時間数が減りますと、やっぱりゆとりの時間であるとか特別教育活動をカットしてその時間を授業に充てるという埋め合わせも必要になってきますし、また、今言った英語教育であるとかそれから環境、これからは環境の問題はぜひ学校でも入れていただきたい内容ですし、そういうものをどうやって入れていくかという大変な問題になってくるんです。
定時制、通信制高校の三年間でも卒業できる道とは、専修学校、各種学校での履修を初め、社会体育活動や家事労働まで体育や家庭一般の単位の履修として認め、特別教育活動については自主参加を認めるという技能連携や実務代替を拡大しようとするものであります。 それは、教師と生徒、生徒同士の対話、触れ合いを通じての人格の向上という教育の営み、科学的で系統性を持った教科の学習を放棄させるものであります。
だから全日制であろうと定時制であろうと単位制高校であろうと、最低この点は必修科目ということで、それはきちっと修得しなくちゃいかぬということでありますけれども、しかしその後の方で、「社会体育活動や家事労働をそれぞれ「体育」や「家庭一般」の履修と認め」、特別教育活動、ホームルーム、クラブ活動、こういったもの「については自主参加」という、弾力化をするということもあり得る、こう書いているんですから、必修教科
開放制の教員養成、それから現職研修の重視という三本柱に基づいて的確な養成が行われていたというふうに考える次第でございますけれども、最近ややもすると現場におきます実践的な指導力の強化ということが言われるわけでございまして、今回の改正につきましては、こうした点に留意いたしまして、現場におきます実践的指導力を備えるために免許基準を引き上げ、生徒指導の問題とか、それから情報化に対応する問題でございますとか特別教育活動
ましてや、今度学校教育課程あるいは学習内容の教科や特別教育活動あるいは授業時数等の改正をやろうとしている、その中で、今まで体育保健の中の格技が武道というように改まる、私も武道振興議員連盟の一員としてそのことに対しては歓迎をいたしているところでございます。
特別教育活動に名をかりて通知を出しているわけでしょう。その事実があるかどうか。
ところが、全日教連の方を見ますと、「道徳教育、特別教育活動を重視する。」あるいは「基本的行動様式を系統的に指導する。」あるいは「校則を精選し、児童・生徒とともに順守する。」、こういうように、同じ教職員の組合でありながらこのように矛盾した意見を出しているんですね。これについて文部省はどのようにするのが正しいと思っていらっしゃるんでしょうか、御意見をお聞かせください。
これは特別教育活動全体についての調査内容でございますので、その中の一つに、第三に「学校行事について」という中で、「入学式及び卒業式において、国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な取り扱いについて徹底すること。」という内容の通知を出しております。
次に、特別教育活動における事故をいかに減らすかという点につきまして、高校山岳部の場合を取り上げてみたいと思います。 過去の山岳部の幾つかの遭難事故が教えておりますように、山岳部顧問になる先生の資格、これが非常に重要だと考えるわけですが、一九八〇年十二月には、逗子開成高校、北アルプス八方尾根で引率教師一人を含む六人が吹雪の中で方向を見失って遭難した事故がございます。
なお、悉皆調査にしたのは、従前もございまして今回が初めてでございませんが、昭和四十五年にやはり特別教育活動に関する調査、公立小・中・高を対象にして悉皆調査をやったわけでございまして、今回はそれからいいますと二回目でございます。
それは彼の徳性と個性と社会的な行動、つまり日本でいう特別教育活動ですね、そういうものが総合的に判断されて彼は入った。もし日本流の偏差値尊重のやり方だったらケネディ大統領はハーバード大学に入れなかったであろうということを言っている。しかし彼は入って、ああいうふうになった。しかし一方、日本流で言えば大変知識の豊かな、そういう女の子が、社会性が欠如をしているということで入れなかった。
しかしながら、最近の新設の小学校、中学校を設置する場合には、校地については過疎地域における補助金の基準がございましてそれで行っておりまして、その基準によって校地を確保すれば特別教育活動に支障のない運動場が確保できる、こういうような状況になっておりますので、いま改めて全部の小中学校に適用される設置基準を設けることは非常に困難でございます。
そのために教育課程の改訂がありまして、保健指導あるいは安全指導というようなものが各学校の実態に応じまして、まあ大体月に一回程度はできると、年間十一時間、安全指導もそれぐらい、あるいは給食指導が四時間というふうな形で組めるようにゆとりの時間もできてきたというふうに理解しておるわけで、いまそれを特別教育活動というんですけれども、その研究なりやり方なりのあれがいま盛んに行われておるわけですね。